東京都庭園美術館に行ってきました。
昨年11月にリニューアルした東京都庭園美術館に行ってきました。
現在の企画展示は「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」。
アール・デコは、1910年から1930年にかけて欧米を中心に流行した装飾の様式です。それまで流行していたアール・ヌーヴォーの曲線的な装飾とは違い、幾何学的な特徴をもつと言われます。
東京の大学に通っていたにも関らず、東京都庭園美術館に行くのは初めてでした。
そして、この庭園美術館こそが、アール・デコ様式で建てられたものなんですね〜。もともとは、皇室・朝香宮家鳩彦王夫妻のお住まいだったそうです。夫妻がパリ滞在時にアール・デコ様式を気に入り、わざわざフランス人装飾美術家を呼び寄せて、自邸を建造したとのことです。当時も(今も)珍しい、日仏融合のアール・デコ様式の建築ですね。
外はとてもシンプルな作りですが、平面的な屋根とアーチ状の入り口の対比が美しいです。
そしてシンプルな外観とはうって変わって内観は、色とりどりの装飾で埋め尽くされています。天井の彫りや壁紙、家具などどれも超一級の技巧を誇るものばかりです。
何より面白いのが、フランス的な装飾の中に、青海波や源氏香といった日本の文様が入り交じるところです。
メインの設計はフランス人アンリ・ラパンが行ったそうですが、実際の建築・立て付けは、当時の日本のエリート建築家集団が行ったとのこと。
アール・デコと文様の融合は、とても自然に行われていました。両者とも抽象的な幾何学形態であることがその要因であると思います。
様々な石や木、タイルが贅沢に使われる中で、特に面白かったのは電飾です。各部屋ごとに、その特徴に合わせて、全く違った電飾が取り付けられていました。
建築や装飾がお好きな方には、おすすめの美術館です。
ちなみにこの邸宅は、朝香宮ご夫妻が手放されたあと、内閣総理大臣を務めた吉田茂によって所有されたそうです。彼は戦後、この邸宅がアメリカ軍に没収されないようにするため、「公務に利用する」という名目で使用したそうです。粋ですね。
そして公務使用が終わった1981年に東京都へ売却、1983年に美術館として一般公開されたわけなのですね。
美しいものや大きなものを作るには、見識とお金が必要です。
それらを持ち合わせる人々が「美」を作り、そして保管する。そのことが、またいつか誰かの「美」にインスピレーションを与える。この循環は非常に大切だと思います。
現代アートの文脈では体制側として批判されることの多い美術館ですが、私はこうした美の伝承方法は良いものであると思っています。
建築についてばかりで、企画展について全く触れていませんでした。教科書では決して見るこのできない、アール・デコ様式の珍しい絵画ばかりでした。
何故か二の腕がもりもりで、胴体の長い人物像が多かったです。流行っていたのかな。
以上です。
ジル・クレマン連続講義1「都市のビオロジー」
ジル・クレマンというフランス人をご存知でしょうか。
庭師、ランドスケープ・デザイナー、小説家、植物学者、昆虫学者など様々な顔を持つ人物です。
今回は、そのクレマンが初来日・連続講演をするということで、東京・恵比寿にあります日仏会館まで足を運んできました。
講演のテーマは「都市のビオロジー」
ビオロジー(biology)とは辞書で引くと、①生物学 ②植物相 のことと出てきます。
クレマンは新種の蛾を発見するなど生物学者としても活躍していますが、今回のお話はどちらかというと②の意味合い、つまり都市における②植物相のお話でした。まあ植物相が変わる→そこに住んでいる生物が変わる、という意味では、①、②どちらもでしょう。
中心となるキーワードは、
「第三風景」
第三風景とは、都市の中で建物や道路の合間にぽつんと存在する雑草や灌木が自然に生い茂るままに残されている場所のことです。言わば、都市の隙き間という感じでしょうか。普通ならば誰も評価しないようなこの場所を、クレマンは積極的に評価していきます。
なぜこの「第三風景」が大切なのか?
それは、この場所が、画一化され整えられた都市の中で唯一「多様性」を保っている場所であるからです。つまり、様々な植物や生物が、人間の意図を直接的には受けず思いのままに生い茂っている場所なのです。
クレマンは、各国に多くの庭や公園を作っています。そして彼が庭を作る時、大切にすることが、この動植物の意思や多様性であるのです。
普通、「庭」というと、私たちは広い芝生の上に、程よく設置された樹木や花々を思い浮かべます。用途や景観に沿うように、美しく刈り込まれた植物たち。それは「装飾のための庭」と考えて良いでしょう。そこで求められるのは不変性です。
しかしクレマンの作る庭は、こうした庭とは全く違うものです。
クレマンの庭では、植物の種子は撒かれたあと、必要以上に手が加えられることはありません。そうすると、植物たちはどうするでしょうか。動くのです。
例えば、ある場所に高い樹木が育つと、その下の背の低い植物は日光を求めて根を外へとはり出していきます。その他にも、鳥などの動物が偶然運んできた種子によって、最初に庭を作り込んだ時とは全く違う植物相になることもありえるでしょう。
しかしながら、注意を促しておきたいのは、クレマンが考える多様性とは「何もしなくても良い」ということではない、ということです。確かに「何もしないこと」は最良の判断かもしれません。なぜなら、人間が何もしなくとも、自然は全くもってうまくやっていけるからです。
しかし、人間もまた自然の一部である限り、自然と全く関らない生き方はあり得ません。では、一体どうすることができるというのでしょうか?
講演の中でクレマンは、人間と自然の関り方について、ひとつのヒントとなる非常におもしろい例を出してくれました。それは「ドードー鳥とある植物」の話です。
ドードー鳥はかつてマダガスカル島に生息していた鳥です。しかし、その警戒心の薄さや地上で暮らす生活スタイルのため、外来種に捕捉されやすく、発見されてからわずか80年たらずで絶滅しまいました。
そして時を同じくして、ある植物もまた全く発芽しなくなったのです。
この関係に気づいた研究者は、その植物が、ドードー鳥によって飲み込まれ、排泄されるというプロセスを経ないと発芽しないのではないかと考えました。
そこで他の鳥に、種子を飲み込ませ、排泄させたところ、見事90%の種子が発芽したそうです。
このように、人間が介在することで、植物の絶滅を回避することもあり得るのです。
自然を大切にしよう!エコ活動を!と叫び、エコバッグを持ち、車に乗らないという選択をすることよりも、都市の中で道ばたの雑草の生え方に目をやること、ちょっとした空き地に生い茂る植物の生態を考えること、そしてそれらと私たちの関わり方について思考すること、こちらの方がもしかするとより実りがあるのかもしれないと考えた午後でした。
クレマンの著作について、2/26に、初の!邦訳が出ます。