パノフスキー『イコノロジー研究』を文様の観点から考えてみる。
今ではすっかり、美術史のスタンダードとなっているパノフスキーの『イコノロジー研究』ですが、文様解釈についてもヒントになりそうだと思ったのでメモしておきます。
ドイツ生まれのエルヴィン・パノフスキーが『イコノロジー研究』を書いたのは、1939年のことです。それは主として一個の美術作品をどのように分析し、解釈するか、という問題にあてられます。序章でその方法が具体的に示され、それ以降はルネサンス美術の例などを中心に分析が行われていく、といった感じでしょうか。
序章示される具体的な分析方法は以下の通りです。
パノフスキーは、美術作品を分析する時に、三つの段階を想定します。
第①段階・自然的主題
この段階は、絵画などを見たときに、何の予備知識がなくとも感覚できるもののことを指します。つまり、ここには人間が描かれている、植物が生えている、建物が書かれている。そしてまたこれは油絵の具が用いられている。人物の表情は悲しげである、と言ったような感じです。
第②段階・伝習的主題
伝習という訳語が少し分かり辛いですが、ようは人物が小刀を持っていたら、それは聖バルトロマイを描いている、といったような、ある宗教や集団にとってはお決まりのモティーフやテーマのことを指します。小刀というモティーフを見ただけで、知っている人は、それにまつわる物語や意味を想起できます。
第③段階・内的意味・内容
これは作品が制作された当時の時代状況や国家、宗教や階級意識といった状況と作品を照らし合わせることを指します。当然そこには作者が意識せずに表現したものが含まれます。パノフスキーの説明によれば、例えば、ミケランジェロが青銅ではなく石を偏愛したという事実から、ミケランジェロの人格まで分析することを示しているようです。
現在の美術史研究において、こうした分析は既に当たり前のように行われています。しかし、「文様」という表現様式に対して、この分析はいかに当てはまるでしょうか?
たとえば、最も有名な文様として、葵文様をとりあげてみましょう。
第①段階・自然的主題でわかること
・植物を描いている
・抽象化、単純化されている
・絵というよりは記号に近い
などなど
第②段階・伝習的主題でわかること
・古来から葵を文様としているのは、京都の賀茂一族である
・賀茂一族を表す葵は二枚の葉を持つ。
・一方で、三枚の葉を持つ葵は、徳川家の文様である
などなど
第③段階・内的意味・内容でわかること
【お守りに葵文様が描かれている場合】
・文様を入れることで、ただの布袋が…あら不思議
【庶民が葵文様を描いていた場合】
・江戸時代には、徳川家とその家臣以外が三枚の葵文様を使うことは禁止されていたため、描いた人物は、徳川家に反発する精神を持っていた、あるいは法令に関して無知であった
などなど
ここまで、考えてみて気になったのが、じゃあ現在において、文様を描くことってどんな③内的意味・内容を持つことになるのか?ということです。
単純に考えれば、現在において文様を描く人は「日本伝統が好きな人」と受けとられるでしょう。あるいは、徳川家の熱烈なファン、下・上鴨神社(京都)を熱烈に信仰している人であるとか。
なんだかとてもうっすーい内的意味・内容です。
何が言いたいかというと、今現在、「文様」が持つ意味が希薄になっているということです。そして文様を活用する機会も、意味の希薄さとともに失われていっている。
文様というものは、日本人がながーい時間をかけて作り上げていったシンボルであり、漢字やひらがなといった記号と同じように価値を持つものではないでしょうか。
ということで、現在において文様の新たな意味を見つけること、このことについてしばらく考えてみたいと思ったのでした。
以上です。
私が読んだのは、ちくま学芸文庫(上・下)版。2002年に出てます。
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